さびしい思い 母への思慕


■ 『戦争まで』加藤陽子(朝日新聞社2016年)を中断、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯 久美子(文春文庫2025年)を読んだ。今年は太平洋戦争関連本を読もうと思っているが、この評伝もその中に入る1冊。
やなせたかしさんの生涯。はっきり分からなかったことを様々な資料などを調べて明らかにして、起伏に富んだ生涯を描いている。朝ドラ「あんぱん」を見ていることもあり、興味深く読んだ。
梯さんの『散るぞ悲しき 硫黄島指揮官栗林中道』(新潮文庫)を何年も前に読んで感動。さらに今回本書を読んで、評伝の名手という評価に納得。
戦争が終わって、逆転してしまった正義。
**もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかが空いている人に食べ物を分けることではないだろうかーー嵩はそう思うようになった。**(116頁)この思いが長い歳月を経て、誰もが知るアンパンマンを生む。
本書には「そうなんだ、知らなかったなぁ」という雑学的なことがいくつも書かれている。
例えば嵩という名前は、中国で暮らしていた父親が中国の五大名山のひとつで山岳信仰で知られる嵩山(すうざん)から採ったということ。
弟の千尋という名前について、**「尋」は長さの単位で、昔は海の深さをはかるのに使われた。父は、兄に高い山の名前をつけ、弟には深い海をあらわす名前をつけたのだ。**(109頁)と書かれている。
本書には、やなせたかしさんの詩が何編か載っているが、印象に残ったのは、「朝やの星」。朝やはやなせさんの伯父さんの家のお手伝いさんの名前。
詩の後半を引用する。
**あたたかい朝やの背中
朝やの背中で見た
空いっぱいの星
こぼれおちた流れ星
ぼくは今でも忘れない
弟よ
君はしらなかったろうね
朝やの星が美しかったことを**(33頁)
ある夜、朝やにおんぶしてもらって町はずれの駄菓子屋につれていってもらった嵩が書いた詩。嵩の弟の千尋は子どものいなかった伯父夫婦の後継ぎで、嵩は居候同然の身だ。この違い・・・。
梯さんはこの詩について**さびしい思いをしている人にしか見ることのできない景色がある**(34頁)と書いている。朝やは嵩のこころが分かっていた、本当はさびしいのだ、ということを。このさびしさの大きな要因は、母親が離れていってしまったといことだと思う
朝ドラでも描かれているけれど、嵩は5歳の時に父親を亡くす。7歳のとき、母親は再婚して嵩のもとから離れていく・・・。
「アンパンマン」のメインキャラクターのドキンちゃんのモデルは奥さんの暢さんだと言われている。これはよく知られていると思う。
本書で**長く描いているうちに嵩は、ドキンちゃんの外見は母の登喜子に、気が強くて何があってもめげない性格は妻の暢に似ていることに気がついた。**(218頁)ということを知った。
外見は母親だという。ドキンちゃんの外見に、やなせさんの母親に対する思慕の念が無意識のうちに出たのだとぼくは思う。
母親に対する思慕、追慕の念、そこからでてくるさみしさは時に文学のテーマとなる。
例えば夏目漱石。漱石も似たような境遇で、母親への思慕の念を抱き続けた。それをストレートに作品化したのが『坊っちゃん』だった。既に書いたけれど、坊っちゃんを可愛がってくれたお手伝いさんの清は坊っちゃんの母であり、漱石の母でもあったのだ(とぼくは理解している)。
例えば川端康成。川端康成は3歳のときに母親を亡くしている。川端康成の小説を読み解くキーワードは孤独と母親への追慕だろう。
『源氏物語』の主人公・光源氏も3歳のときに母親を亡くしている。で、亡き母への思慕の念断ち難く、光源氏は母に似ている女性はもちろんのこと、多くの女性に恋をした、と解することができる。
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なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
生きることの意味を問うこの哲学的な問いかけにぼくはどう答えたらいいのか・・・。
何を書くか決めずに書き出してしまった(いつものことだけど)ので、まとまらない。