透明タペストリー2 

本や火の見櫓、建築などさまざまなものを素材に織り上げるタペストリー

「彼岸過迄」夏目漱石

 夏目漱石の『彼岸過迄』(新潮文庫1952年1月20日発行、1993年12月5日73刷)を読み終えた。これで漱石の前期・後期各3部作のうち残るのは『行人』だけとなった。この作品が年またぎ本になるだろう。

漱石の作品は、高校生の時に一通り読んでいるから、『彼岸過迄』も今回が初めてではない。このブログで過去ログをチェックすると(gooブログから過去ログと共に引っ越すことができて本当に良かったと思う)、2007年9月27日の記事に『彼岸過迄』を読み始めるとある。それ以来だから、18年ぶりの3回目(たぶん)。

漱石明治43年(1910年)8月に修善寺で多量の吐血をして、一時危篤状態になったということだが、『彼岸過迄』はこの大患後に初めて書かれた小説で、明治45年(1912年)の元日から彼岸過ぎの4月29日まで朝日新聞に連載された。

真っ先に掲載されている「彼岸過迄に就て」という諸言に、漱石はこの作品の目論見などを書いている。その中に**自分は凡て文壇に濫用される空疎な流行語を(かり)て自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである**(6頁)とある。

彼岸過迄』は「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」、以上6編の短編によって構成された長編だが、このような方法について、やはり諸言に**新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持っていた。**(7頁)と書いている。

現代の映画ではストーリーの起伏が大きいという傾向にあるのではないか。喩えればジェットコースターのよう。表現もCGを多用して過激だ。これは観賞者の感性が鈍っていることに因るのではないか、と思う。小説も同様ではないか。

このことを前提にすれば、漱石の小説は起伏に乏しく、「なんだか、つまんない」ということになるだろう。

彼岸過迄』は上に書いたように6編の短編から成る長編だが、5編目の「須永の話」が特に印象に残る。走り幅跳びに譬えれば、それまでの5編は助走のような気がする。で、「須永の話」でジャンプ。クライマックスは須藤と千代子の、次のような言い争い。台詞だけ拾う(表示が千代子)。
**
「まだみんな鎌倉に居るのかい」
「ええ。何故」
「高木さんも」
「あなたはそれ程高木さんの事が気になるの」
「貴方は卑怯だ」
「何故」
「何故って、貴方自分で能く解ってるじゃありませんか」
「解らないから聞かして御呉れ」
「それが解らなければ貴方馬鹿よ」
「千代ちゃんの様な活潑な人から見たら、僕みたいに引込思案なものは無論卑怯なんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、又はそのまま所作にあらわしたりする勇気のない、極めて因循な男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方無いが‥‥‥」
「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」
「然し軽蔑はしているだろう。僕はちゃんと知ってる」
(中略)
「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれで宜う御座んす。何も貰って下さいとは云いやしません。唯何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾(あたし)に対して‥‥‥」
「御前に対して」
「何故嫉妬なさるんです」

(もう少し会話は続くが省略する)
**(269 ― 273頁) 

ぼくはふたりのこの言い争いにびっくりした。突然の嵐。漱石は『彼岸過迄』でこの場面が書きたかったのではないかとさえ思った。千代子がかわいそう、というのが「須永の話」を読んでの感想。

『それから』も終盤になってびっくりするような会話が出てくるが、その事については機会を改めて書きたい。

『それから』と『彼岸過迄』は、今回の再読によって印象に残る作品となった。