■ 先日穂高まで所用で出かけた。その際、安曇野のヤグラー・のぶさんがブログ「狛犬を巡る火の見ヤグラーな日々」で紹介していた火の見櫓の添え束(@安曇野市穂高牧)を見てきた。
ゴミステーションの左に立っているのが火の見櫓の添え束(*1)。
花崗岩の柱で高さは人の背丈くらい。昭和三十二年十一月建之という刻字がなんとか読める。安曇野には花崗岩を用いた道祖神も多いが花崗岩は風化しやすいので、損耗しているものが少なくない。
この場所に元々3本柱の火の見櫓が立っていて、その柱脚を固定するための添え束で、3本の内、2本は撤去されてこの1本だけが残ったとのこと。ボルトを貫通させるための孔が2つある。
火の見櫓の柱脚をこのように添え束で固定している事例として長野市小柴見の火の見櫓がある。
昭和16年建設

石造の添え束にボルトを貫通させて、柱材の山形鋼(アングル)にひっかけて留めている様子が分かる。同様の事例は北安曇郡池田町にもある。それが下の写真。

鋼製の火の見櫓の柱脚を固定するために、このような添え束が必要なのかどうか。なぜこのような方法にしたのかは不明。コンクリートの塊状基礎に台柱の刻字が埋もれていることから、コンクリート基礎は後施工と判断できるが。
さて、添え束を用いている事例としてこれを挙げないわけにはいかない。大町市美麻(旧美麻村)の木造の火の見櫓。私の火の見櫓巡りはここから始まった。
(移設前、100504撮影)
3本の添え束のうち1本は木のまま、2本は石に替えられている。
さて、穂高の添え束だが、ここに立っていた火の見櫓は木製だったのか、それとも鋼製だったのか・・・。
昭和32年という建設年から判断すれば鋼製とするのが妥当のように思われる。昭和30年代に鋼製の火の見櫓が盛んに建てられた。
だが、添え束を使った鋼製櫓は稀だろうし。仮に使ったとしてもあくまでも補助的なものであって、高さもそれ程必要ないことなどから、人の背丈もある添え束を用いた穂高の火の見櫓は木造であったと考えたいが・・・。ボルト貫通孔の大きさもこの判断を補強するように思われる。鋼製の櫓ならボルトはもっと細いものを使ったのではないか、だとすれば孔はもっと小さいのでは。
木造の火の見櫓が前から立っていて、添え束を木から石に替えた年が昭和32年で、その年を刻んだということはないだろうか。
美麻では移設の際、その年を刻んだ石柱を使っている。
今なおここに木造の火の見櫓が残されていたとすれば、素晴らしい景観要素になり得ただろうと、のぶさんが書いているが、全く同感。北アルプスを背景に凛と立つ木造の火の見櫓・・・。
ここの火の見櫓の立ち姿を写した写真が見つかるといいのだが・・・。
*1 のぶさんのブログに掲載されている資料の呼称に倣って台柱としていたが、添え束に改めた。2023.05.26 踏み台という言葉があるが、台の上に火の見櫓を載せるようにして建てているわけではない。火の見櫓に添えて設置している束(短い柱の意)とする方が状態を的確に表していると判断したので。